中国最大の国際都市、上海。そう呼ばれる所以は、1842年、アヘン戦争の時代に遡る。
くだんの戦争に敗れた中国は、イギリスとの間に南京条約を締結。上海は開港せざるを得なくなった。以後、イギリスを始め、フランスなど欧米諸国の影響を受けながら発展が進むことになる。激動の時代を経て、今もなお進化し続けるこの街は、今も昔も広大な中国を牽引する中国きっての大都市である。


黄浦江(こうほこう)の西岸に位置する外灘は、通称「バンド」と呼ばれる上海を代表する観光地。租界時代の歴史的建造物が通り沿いに並び、当時の面影を色濃く残している。かつては列強各国の企業や銀行などが進出し、「東方のウォール街」と呼ばれるほど経済の中心地として栄えた。パレス・ホテルなど, 社交場として一時代を築いた建物も当時の姿のまま残っており、上海の歴史を語る上で外せないのがこのエリアである。多くのビルは現在リノベーションされ、レストランやブティックなどとして使用されており、街並みだけでなく、グルメやショッピングも楽しめる。訪れるなら、明るい時間も素敵だが、ライトアップされる夜が断然おすすめ。アールデコ様式やネオバロック様式のビル群が照らし出される様は、幻想的で息を呑むほど美しい。

明代に、四川省の役人だった潘允瑞(はんいんたん)が、故郷を懐かしむ両親を慰めるために建設した庭園。造園にはなんと18年間もの歳月がかかったと言われており、「江南随一の名園」と賞されている。名前の由来は、「豫悦老親」という中国の言葉にちなんでおり、「豫悦」は喜ぶ、「老」は老いるという意味で年老いた親を喜ばせるという意味が込められている。潘家の没落後、庭園は一時荒廃したものの、清代になってから上海の有力者たちが再建に乗り出し、現在の姿が一般に開放されたのは、1956年の大改修以降のこと。面積は、往時のほぼ半分である約2万㎡で、江南様式の特徴である池や回廊などが多用されている。

樹木・水・太湖石・建物」の4つの要素が見事に調和している造りは、まさに中国庭園の美の極み。精緻に配置された名石と池、細部に渡って多彩な技巧を凝らした建物など、随所に散りばめられた江南の美意識に、じっくりと身を浸したい。

洗練された雰囲気が漂う、上海きってのお洒落エリア。上海近代建築のシンボルである「石庫門住宅」が、カフェやレストランなどに生まれ変わった。
石庫門とは、租界時代に盛んに造られた集合住宅の呼び名で、西洋風の装飾が施された中洋折衷スタイルの建物のこと。2001年のオープン以来、マイナーチェンジを続ける新天地から目が離せない

創業100年以上の老舗から、国営デパート、最新ショッピングモールまでが混在している。歩行者天国で散策しやすい。メインストリートは徒歩20分程度の距離だが、通りにはレストランやショップが所狭しと立ち並ぶ。