成績優秀いい子だった息子さんの不登校に困っている親御さん向け講座

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ツアーコード148810

成績優秀いい子だった息子さんの不登校に困っている親御さん向け講座

ツアー説明

    こんなことが学べます

    ピリピリと腫れ物に触るように接する息子さんと会話を楽しめるようになる為の3つの簡単な行動が学べる講座です

    言ってはいけないべからず集10カ条から自分の言葉癖をつかむ

    やってはいけない3つの代表的な態度

    とこの2つを使ってやってみるワーク

    質疑応答

    こんな風に教えます

    マンツーマンで分かり易く丁寧に指導します

    このレッスンで得られるもの

    言ってはいけないべからず集10カ条を知ることで息子さんにかける言葉が変わる

    知らず知らずのうちにやっちゃいけない態度をとっていたことを知ることで息子さんの状態が変わってくる

    みんなが心地よくなる環境を作る方法が分かる

    こんなことが体験出来ます

    いま必要な関わり方を知り安心できます

    こんな風に教えます
    マンツーマンで分かり易く丁寧に指導します

    その子に合った基本的関わり方をお伝えします

    定員
    基本1名

    この講座の講師はこんな人です

    資格について

    産業カウンセラー

    ICNLP認定国際トレーナー

    ICC国際コーチング連盟認定国際コーチ

    研修講師として

    大阪市旭区児童相談所職員研修
    子育ての重要性について

    大阪府豊中市役所
    マタニティプレママにも役立つ子育てのポイント

    講演講座

    西宮市こころのケアセンター大阪市教育振興公社
    徳島市教育委員会西脇市教育委員会徳島市役所
    愛知県春日井保健所大阪府寝屋川保健所門真保健所他

    今だけ内緒豪華特典

    心育ての手順が分かる1枚

    講座前質問し放題

    個別無料相談会

    講座終了後3日間質問し放題

    フォローアップ相談会

    希望される方は講座にてお申し出ください


    マイストーリー

    これは私の物語です

    天女の言葉の呪いを解くカウンセラー

    私は今お釣りがくる程しっかりとプラチナ世代
    まさか自分がこの年齢まで生きているとは
    思っていませんでした

    子どもの頃身体が弱かった私は母が人と話す時に
    この子は身体が弱いから長く生きられない
    と話しているのをそばで聞きながら育ちました

    考えてみると大正生まれの母は
    謙遜の美徳謙譲の美徳という
    当時の文化を十二単衣のようにきちんと
    身にまとった人でした

    だから父と私の家族以外の人たちからは
    あんないい人はいない
    あんな出来た人はいないと
    いつも褒められていました

    特に父方の親戚から用事を頼まれると
    何を差し置いても駆け付けていました
    人さまに対しては優しい言葉と笑顔を向け
    まさに天女のような人でした

    でも母の謙遜の美徳の言葉は私にとって
    その後生涯に渡って呪いの言葉になりました

    この子は3月31日生まれで4月生まれの子に比べ
    学年でも丸1年遅れている

    だからやっぱり何をさせても甲斐性がなく
    だっちゃっかん子で恥ずかしいわと言う言葉が
    人に私を紹介する時の母の挨拶言葉でした

    実際私は肺浸潤という病気で中学1年まで
    定期的に病院に通っていました
    体育の授業はいつも見学オンリー

    転んだら危ないからと自転車は禁止され
    許されたのは三輪車まで
    未だに自転車に乗るのが夢のまた夢です

    50歳を過ぎてから教習所に通いました
    が教習所仲間は私のことを用務員のおばさん
    と思っていたと後で知りました

    なんと9か月通いその間に
    仲間の出迎えと見送りのセットを繰り返して
    いたので間違えられるのも無理ありませんが

    何をさせても甲斐性のない子と言われ続けた
    私は本当に母のシナリオ通りの甲斐性のない子に
    しっかりと仕上がっていきました

    子どもは親に忠実に名子役を演じ疑うすべもなく
    自分を素直に定着させていきます
    私も名実ともに素晴らしい名子役でした

    何かに情熱を持って熱くなることもなく何となく
    胸の中がいつもモヤモヤしていました

    他の子と自分は何処か何かが違う気がしていました
    が自分は夜明けの行どん状態で分かりませんでした
    ただ胸の奥にずっと生きにくさを抱えていました

    そんな自分の転機となったのは結婚により
    親元を離れたことです

    開放感と自由な気持ち心の軽さリアルに楽しい
    気持ち
    北陸の保守的で封建的な街で生まれ育った私
    大阪の街はそんな私を水を得た魚のように
    イキイキと生き返らせてくれました

    自分でも予想もしなかった自分の内面の変化に
    正直びっくりし驚きました
    結婚により物理的に母と距離を取れたことが
    何よりも私を伸びやかにしました

    故郷に実家に母に心の根元を幾重にも
    縛られていたことを親のそばを離れてから
    じわじわやんわりフワッと気がつきました

    長く生きられないと母に言われて育った私は
    子どもを2人産みました
    身体が弱いと言われた私は4000を越える
    息子を産みました

    そして今日に至るまで私はいろいろなことに
    取り組んできました
    司会業ビジネスマナー講師カウンセラーと何かに
    常に忙しくしてバタバタと生きてきました

    そして5年前家族から終活を要請されているさなか
    創業時65才のケンタッキーフライドチキンの
    おじさんカーネルサンダーズ氏に触発され
    こっそり知的障がいの方のささやかな4人制の
    グループホームを立ち上げました

    だからこそ自分ではチャレンジ精神旺盛で意欲的に
    生きている人間と自分のことを思い込んできました
    おめでたい限りです笑

    でもそれは全くの勘違いとんでもない大間違い
    大きく180度真逆であることを思い知り実に
    愕然としました

    いくつになっても私は母の呪いの言葉
    何をさせても甲斐性のない子という言葉に
    すっかりリモートコントロールされていたのです

    チャレンジ精神旺盛と思えていたのは
    何をさせても甲斐性のない子という
    母の呪いの言葉に首根っこをつかまれ
    牛耳られていた私の心の奥底からの
    強烈な反抗反発だったのです

    反発のその奥に眠っていたのは
    何をさせても甲斐性のない子ダメな子じゃない
    お願い私を認めてお母さん
    と泣きじゃくる5歳の私が必死に
    母に求める真っ直ぐな承認欲求でした


    20年以上にわたり民間の不登校ひきこもりの
    相談機関で居場所スタッフカウンセラーとして
    多くの方の心に触れ寄り添って参りました

    他者の心は見えるのに肝心かなめの自分の心は
    砂ぼこりで濁った池の底のように
    まるで見えていませんでした
    恥ずかしい限りです身体が凍りつきます


    母の言葉で心の芯を串刺しにしたままで
    生きてきた自分自身を顧みて私と同じように
    呪いの言葉に牛耳られ息苦しく生きている方の
    お役に立ちたいと強く思っております


    私の母もその上の世代から代の呪いの言葉を
    受け継いできたのだと思います
    負の連鎖を受け継ぎ子供に申し送りしている課題を
    解放していくことが私の使命と感じております


    実母は3歳の私を残し結核で亡くなりました

    天女の言葉は24歳でいきなり私の母になった育ての母の言葉です
    きっと母も心細かったのではないかと思います
    生涯子どもは私1人でした

    数年前91歳の大往生に立ち会うことができました

    この母が在ってこそ私は自分を深く掘り下げ
    自分の心の井戸水を両手で掬い取り口に頬張り
    飲み干すことができたように思います

    母は独自の方法で私を成長させてくれました
    紛れもなく天女だったのかもしれません

    今本当に母に感謝しています

    お母さんありがとう

    私を産んでくれたお母さん
    私を育ててくれたお母さん

    お母さんありがとう

    そして二人の母にそう言っている自分が好きです


    不登校ひきこもり家族支援コンサルタント

    1999年私は大阪で不登校ひきこもりの本人と親の支援を行う民間団体のカウンセラーとしてスタートした

    あれから20年余のべ21000人の方の好転に関わった
    13歳の2学期で不登校になった彼女は20代で花嫁に
    13歳から10年ひきこもった若者はバイト先で女子高生
    を指導
    人は甦り自分の道を歩いていく



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