


奥州藤原氏の初代清衡が12世紀始めから四半世紀をかけて造営した寺院です。境内には、国宝金色堂をはじめ重要文化財に指定されている金色堂覆堂、経蔵などがあります。また、庭園遺構を含む鎮護国家大伽藍一区跡など、多くの遺跡が良好な状態で残っていることから、境内の全域が特別史跡に指定されています。

毛越寺は中尊寺と並び平泉町を代表とする寺院で、国特別史跡と特別名勝に指定されています。建物の数は記録によると「四十余宇、禅坊五百余宇」と言われ、中尊寺(四十余宇、禅坊三百余宇)よりも規模がかなり大きかったようです。特別名勝に指定されている日本屈指の「浄土庭園」そして、特別史跡及び特別名勝の構成要素である常行堂などが含まれています。
1972年のユネスコ総会で「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が採択された。
それに基づいて世界遺産リストに登録された、「遺跡」や「建造物」、「自然」などのこと。
文化遺産としては、東北で初の登録となった「平泉」。
12世紀日本の本州北部において、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治行政上の拠点である。
平安末期の百年間に、都の文化を受容しながら独自に発展させた仏教寺院、浄土庭園など、華麗な黄金文化の遺産群。
中でも特に、末法の世が近づくにつれ興隆した阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の空間的な表現を目的として創造された独特の事例である、と評価されてる。
「平泉の文化遺産」には、平和を求める普遍的な精神が深く息づいている。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、奥州藤原氏二代基衡の夫人が建立した寺院として記されています。その庭園は、毛越寺とともに浄土式庭園の典型とされています。
三代秀衡が、京都宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院として知られます。現在は土塁、礎石、庭園跡が残るのみとなり、ひっそりとした雰囲気が漂っています。
中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置し、奥州藤原氏により、山頂に大規模な経塚が営まれた信仰の山です。平泉のまちづくりの基準となった象徴の山であったとされています。


